日系ブラジル人の夫と国際結婚しました。
彼は、私と出会う以前のその昔、18歳で日本に来ました。
それからずーっと日本に住んでいて、今となっては日本の生活が長くなりました。
若かりしころの来日エピソードをご紹介します。
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憧れの日本に到着!第一印象は?
バブル期に日本は国内の人出不足に対応するため、日系3世までを定住者として認めるよう法律を改正しました。
夫が日本に来た当時は、バブル期はすでに過ぎていましたが、まだ来日するブラジル人は増えている時期でした。
彼は生まれ育った閉鎖的な田舎を飛び出して、世界を見たいという理由で日本行きを決めました。
祖父は日本人で、彼自身は日系3世だったため、日本は比較的ビザが取りやすい国の一つでした。
当時の日本のイメージは、彼にとって世界最先端のハイテクノロジーを象徴する国でした。
業者のあっせんで就職先が手配され、期待に胸を脹らませてブラジルから日本に到着しました。
空港に降り立ち、迎えの車で運ばれた先は地方のとある町でした。
着いてみてびっくり、田舎を飛び出したはずが目の前に広がるのは地元にも劣らぬのどかな景色。
私も知る「とある町」はたしかに住みやすくいいところだと思いますが、用事がなければ行く機会はほとんどないといっていいかも。
道路から脇に入れば、田んぼや畑が広がっています。
想像していたビルやネオンなどは当然ありません。
18歳でまだまだ好奇心が多い年代には、だいぶ刺激が少なかったようです。
与えられた仕事は、電気関係の危険を伴う作業でした。
若くて健康だった本人にとっても相当重労働だったようです。
彼のビザは自由な仕事に就くことができたため、最初の仕事からは早々に転職しました。
来日したての失敗エピソード
当時の彼は日本語が全くできませんでした。
日本のマナーもその当時はあまり・・・。
当時のブラジル人仲間との写真を見せてもらうと、やたら上を脱いでいる写真が目に付きます。
友人らはちゃんと、Tシャツを来て写っているのですが、Tシャツを脱ぎ捨て得意げに腕組みをしているポーズが目立ちます。
真夏にブラジルを訪れたときも、彼の地元ではたしかにそういった出で立ちの方を度々見かけました。
その格好のままバイクに乗っている人もいました。
上半身裸でバイク、危な過ぎる・・・!!
そのような環境で育ったため、本人は上着を脱ぐことに抵抗がなかったのかもしれません。
来日して間もないころ、彼は上を脱いでポケットに手を突っ込み、だいぶカッコつけながらスーパーに向かいました。
周りの人の視線を感じながらも特には気に留めず、自信満々で入ろうとしたところ、入店を止められてしまいました。
止められた理由がわからない本人は、
「ポルケ?ポルケ??(なんで?なんで??)」
をくり返しました。
いくら何でも日本ですからねぇ。。
結局お店の方が、ジェスチャーで「上、着ていない、ダメ」みたいに教えてくれたそうです。
また別のときには、ワンカップの日本酒をミネラルウォーターと思い込んで買ったこともありました。
ブラジルではミネラルウォーターが、ちょうどワンカップのようにコップに入って売っていることがあるとのこと。
喉が渇いているときに日本酒が流れ込んできたときの驚きといったら・・想像に難くありません。
今では日本語も覚え、日本の生活も長くなりさすがに水と間違えてワンカップを買うことはもうありません。
けれど、結婚後は彼が牛乳を買ってきたつもりが加工乳だったことはありました。
「なんか味がちがう!」というので「どれどれ?」と商品を見るといわゆる牛乳ではなく。
加工乳であっても、パッケージはたしかに牛乳っぽいことに気づいて、間違いに妙に納得したのでした。